The Rainy Sunshine

 雨が上がったのでコンビニを出た。
 約束の時間は、とっくに過ぎている。
 コンビニの前はゲームセンター、その前は書店にいたのでかなり足が疲れていた。

 不在着信はゼロ。
 「家に行く」約束の後に、「行っても大丈夫なら連絡を貰う」約束をした。
 今回に限っては、どんなに遅れても私は悪くない。

 本当なら、わざわざ別れ話を聞きに行くような甲斐性は持ち合わせていないけれど。
 彼の部屋にはまだ、私の傘があった。
 数年前、大学の合格祝いに友人が買ってくれた傘。
 その青空色がいつも、沈んだ気持ちを励ましてくれたのを憶えている。

 私がそこを飛びだした日は、快晴だった。
 自分で出した結論だから、励ましなんか要らなかった。

 私が学生を続けることが確定した時には、友人の就職も決まっていた。
 彼女と私の夢見る未来を、何度も何度も語り尽くした。
 今でも頻繁に連絡を取るし、胸を張って親友と言える。


 どんなに世界が違っても、友達ならこんなにお互いを想い合えるのに。


 私の代わりにずぶ濡れになった自転車を引いて、目的地に向かった。
 夕霧の煙る空に少しずつ、太陽が顔を出し始めた。
 言い知れない不安を感じて、歩を速める。
 突然、ポケットで震え始めた携帯の電源を、手探りで切って。
 一瞬握った銀色の機体は、見えないのにまるで鉛のようで。

 いつも心地良いスピードで過ぎていった景色が、今はひとつひとつ目に焼き付きそうなほど気怠い。
 この自転車に乗ってしまえば。
 そうしたら、うつむいた自分も重い靴も、全て車輪が運んでくれるのに。
 ただ、ハンドルを握りしめながら、何気なくそんなことを思った。

 気付いたら、目の前に扉があった。
 古くて小さいアパートの1階。
 鍵穴を見れば、開いているのはわかる。
 でも、自分がどの道を通ってきたのかはわからなかった。
 後輪のフレームに、泥水をはねられた跡だけが残っていた。

 私がノックをする前に、勢いよく扉は開いた。


「…今、電話しようと思ってた!」


「…知ってる」


 君が、そう言うってことくらい。

 覗き見えた部屋の中は、変わらず散らかっていた。
 そして、一角だけ床も壁も綺麗なままで。
 鎮座するピアノとギター。
 変わらず、誘惑の香りを放っていた。


「床、座れるからさ。上がって」


 私が首を横に振ると、少し寂しそうな顔をして見せる。
 それはだんだん後ろめたい表情にすり替わっていく。
 ずっとずっと見てきたその変化は、やっぱりいつもと同じ。
 そして予想通りの言葉を、私にかける。


「えっと、傘…なんだけど、もう少し待ってくれっかな」


「失くしちゃった?」


 いつでも使って、とは言ったことがあるけど。

 予想が外れることを、心のどこかで…全身で望みながら。
 次を、待った。


「違う違う、さっきまで降ってたから…」


「うん、降ってたね」


「…すぐ、返して貰うから…」


「そう」


 逃げる彼を、私が追い詰める。
 どちらが卵かはわからない、繰り返し。
 近すぎて見えなかったひとつの真実。
 私が初めて彼を見つめた時には、彼は逃げてはいなかった。


「あの傘、君にあげるね」


 だから、もう来ないよ。

 少しだけ強引に扉を閉めた私を、彼は止めなかった。
 鍵をかける音がした。


 ゆっくりとペダルを踏んだ。
 同じ速さで、夜空が近づいてきていた。

 ふと思い立って、人の居ない交差点で自転車を止め、携帯の電源を入れた。
 メールが1件。
 今考えれば、これも予想通りのことだった。
 彼女からの誘い。


「明日の夜晴れてたら花火、覚えてる?」


 ずっと子供の頃から恒例のイベントなのに。
 このメールが届いたあの瞬間、確かに私は忘れていた。
 なんで彼女にはわかってしまうんだろう。
 それを不思議にすら思わないくらい、全ての出来事から時が経っていた。

 ともあれ、返信しようとキーに指を滑らせる。
 そこでやっと、自分の手がうまく動かないことに気付いた。
 運か不運か、「了解」それだけの文字を画面に表示させるのには、かなり永い時間が要された。
 送信する前に、携帯が震え始める。
 両手で包むようにして、電話を取った。


「…もしもし」


「あ、メール見たぁ?」


「うん、ごめん…今」


「そう、明日は終日いいお天気ですってさ」


「わかった」


「んじゃ現地集合だから、遅刻すんなよ〜」


 私の返事を待って、電話は切れた。
 電源は入れたまま、ポケットにしまったところで思い返し、翌日の午後にアラームをかけた。
 もう一度、そっとポケットに差し込む。
 淡い茜色に染まったシルバーが、思いの外綺麗だったから。
 少し、泣けてきた。

 涙をこらえようと、上を向く。
 目に入った空には、三日月が静かに光っていた。
 彼女の言う通り、明日はきっと、間違いなく晴れるだろう。

 私の背中を押してくれる青空色。
 あと少し、あと少しだけ、ひとりで耐えればいいだけ。

 自転車に飛び乗った私をどこかから見つめるように。
 一瞬、雲の流れが止まり、風が凪いだ。

 雨の後の夕焼けは、いつもこんなふうに輝いていたことを、想い出した。
一応、NO短編ということになってはいますが存分に短編。
人を待ちながら愚痴日記を書いていたら、
9割方フィクションになってしまいました。
なにげに、全国のバンドマンを敵に回す作品。